平成30年度母校文化祭に参加
  

 平成30年度近畿高校野球奈良県予選
  

 第100回全国高校野球奈良大会
  
 第35回大高遠足
 

 平成30年度春季近畿地区高校野球県予選
   本来は4月15日試合予定だったが降雨のため17日にスライドされた。この日も
  空模様が思わしくなく不安を抱きながらの観戦になった。結果的には12対0の5回
  コールド負けだったが、ヒット数も9本対6本で大差はなくチャンスに得点していれば
  充分戦えた試合でとても残念であった。夏季大会に雪辱を期待したい。
   井上新校長、木田教頭をはじめご父母や関係者の方々が多数応援に駈け付けて
  くれました。同窓会からは徳田会長、山本s副会長、吉野が参加しました。
  

 平成29年秋季近畿地区高校野球 奈良県予選
   9月10日ならっき球場(大和郡山市営球場)で開催され、母校は香芝高校と対
  奮戦した。3年生が抜けた1・2年生の少人数でチーム構成された戦いとなったが、
  初回から立ち上がりが順調で、しかも4回には1点を先取する。しかしその裏には3点
  を失い、その後築いたチャンスを得点に結びつけられず、後半に加点されて1対8で
  涙を飲んだ。
   谷原校長、木田教頭をはじめ父母、OBの方々の熱心な応援がありました。同窓会
  からは徳田会長、山本誠治副会長が応援に駈け付けました。・・・“来季に期待”
  

 平成29年全国高校野球選手権 奈良県大会
   7月14日佐藤薬品スタジアムで一条高校と対戦しました。守備面では3回まで3者
  凡退で好調な滑り出し、攻撃面でも2回先取点獲得3回には追加点奪取と理想的な
  試合展開であった。しかし、4・5回で守備の乱れもあり5点とられ逆転される。その後
  双方で加点はあったものの最終的には5対8で惜敗する。
  同窓会からは6人熱狂的な応援を繰り返し、見応えある素晴らしい試合でした。
   三浦元校長、笠本前事務長も熱心に応援をして戴きました。
  
  

 仏の心に寄り添った 花岡大学童話の世界
  
我が母校の恩師である花岡先生の功績を讃え下市町&大淀者町文化連盟が主催で
   開催されました。
     展示内容:著作童話集、書画、ビデオ録画
     場所&期間:下市観光文化センター(H29/2.17~2.19 10時~16時)
             大淀町文化会館ひだまりホール(H29/2.24~2.26 10時~16時)
     現地見学会:童話碑、浄迎寺(H26/2.26 12時30分~約1時間程度
   
   
   なお、26日は『息子が語る父「花岡大学」のすがた』と称して花岡大誌(高校11回卒)
   氏の講演もあり盛大に行われました。在りし日の大学先生がご活躍された頃のエピ
   ソードも知ることができ、改めて先生の偉大さを感じました。
   
   なお、講演が終わった後で高校11回卒の同級生有志が集まり講師の慰労と併せて
   懇親をはかりました。
   
      

 哲水流八州吟詠会創立60周年記念大会
   高校第11回卒北川寿文さんは二代目宗家として吟詠界で大活躍をされています。
   昨年11月20日には橿原文化会館において創立60周年記念として「全国吟剣詩舞道
   大会」を開催されました。全国各地から流派のトップが一堂に集う素晴らしい伝統文
   化の競演を鑑賞させていただきました。
   
   

 日本画&和紙絵展の開催
   高校第13回卒の駒谷ヨシ子さんの素晴らしい作品が展示されています。
   是非一度ご鑑賞下さい。
    期間:2017年1月28日~2月19日 8:00-13:00  場所:きまぐれや(大淀町大岩)
   
   

 剣は心なり
          平成28年11月27日 松 尾 剛 男 (高校11回卒)
    本年、南和会の総会に於いて喜寿の祝いをしていただいた。大変喜ばしい
  ことでもあり、もうこんな歳になっていまっかと少し寂しい気がする。定年後
  16年過ぎ76歳ともなると、少し体力、気力が弱ってきた様に思う。その防止
  策として未だに剣道を続け、そしてダンスも認知症予防の意味で焼く10年程
  続けているが、ダンスの方は一向に上達しない、10人程のメンバー中で男性
  が一人という立場で止められない。しかし、ダンス時の姿勢と足の運び方は剣
  道と同じであり、何時かは軽快なステップを披露したいと思っている。。
    ところで、「剣は心なり」とは、剣道は「心、気、力の一致」、相手との攻防
  関係において、最も留意すべきことを表した言葉で「心」と「気」と「力」の
  三つが、相手からの刺激に対して直感的に感知されたものが瞬時に技として
  表現されなければならない。「心」とは精神的作用の静的表面であり、相手の
  動静を直感的に感知し判断する能力、「気」とは心の判断に従って動作とし
  て外に現れるものであり、心に率いられ、その命令に従って活動する清神作
  用の動的面をいう、「力」とは身体の働き、転じて技をいう。
    相手と対峙した時、自分は打突に先んじて、相手の心身の動きをとらえ、
  いつでも対応できるように体の隅々まで神経を行き渡せて不動心の状態で相
  手に攻め入る。すると、相手が“負けじ”と攻め入ってくる。ここで、自分は一歩
  踏み込んで正中線を 攻める。すると、相手は攻め入った途中で相手が攻め
  入ってくるので、心がビックリして「心、気力」が一瞬「居着いて」しまう。
  そこを一瞬で打ち砕き打ち込む。
    剣道は相手の剣を殺す前に相手の心を殺す「心身を居つかす」ことによって
  勝ちを得るのである。
    私もこの歳になるまで相手の剣を殺して「起こりを打つ」のが究極の技と思
  っていたが、剣を殺す前に心を殺すことによって一瞬脅威を感じさせて「心、気
  、力」が居ついた状態になった所を素早く打つ。
    これが剣道の「究極の技」であることが分かった。剣道の最高位の八段を
  合格するには、この相手に攻め入って相手が攻め返してくる、その一瞬を逆
  に攻め入って相手の心が動揺して「心、気、力」が“居ついた”所を一瞬にして
  打ち込んで一本となる。「居つく」とは、ある一つのことに心が捉らわれて相手
  に動きや隙を見つけることができず、十分な力を発揮できないこと。相手に攻
  めや守りで主導権を握られ、思うようにならないこと。一瞬気を抜いたため自
  分の動きが制約され止まること。
    剣道に四戒と言って相手と対峙した時におこる心の動揺(驚いたり、恐れた
  り、疑ったり、迷ったり)或いは心の動揺を抑えきれない状態、このいずれか
  の状態を攻め入ことである。・・・要するに「剣は心なり」とは「剣道は心と
  心の勝負」である。
    最後に、日本の健康寿命(介護を受けたり、寝たきりになったりせずに日常
  生活を送れる年月)の平均は、男子71.19歳、女性74.21歳とのこと、私も健康
  で毎日美味しいお酒と剣道仲間とダンス仲間に囲まれて過ごしたいと思って
  います。これからも生涯剣道に挑戦し、「生きる作法」を修行してまいります。
   
                     生徒に指導する松尾師範

 第98回全国高校野球選手権奈良大会
   平成28年7月14日橿原市の佐藤薬品スタジアムにて高取国際高校と対戦し
  たが熱心な応援の甲斐なく、残念ながら0:7で1回戦敗退となりました。
   試合そのものは最終スコアのようではなく、チャンスをものにすれば互角に
  戦えたと思います。現役生徒、父母、一般ファン、体育支援会そして同窓会の
  方々も一体になって応援をしました。また蒸し暑い中、三浦元校長先生の姿を
  スタンドで拝見しとても嬉しく思いました。
   
   

  第97回全国高校野球選手権奈良大会
  平成27年7月15日橿原市の佐藤薬品スタジアムにて2回戦・奈良朱雀と対戦。
 母校は幸先よく1回表に敵失などで2点を先取するが、その裏には同点に追い
 付かれた。2回と4回に3塁まで走者を進めるが決定打が出ず無得点に終わる。
 その後、5回に得点の好機があり、投手中本選手2塁から一気に本塁に滑り込
 んだが惜しくもアウト。寸前で3点目を逃がしてリードすることができなかった。
 その裏、相手に満塁本塁打が出て一挙に8点を挙げられ7回コールドとなった。
 部員が少ない中、練習の成果があり守備は無失策であったが、惜しくも初戦突
 破を逃がした。でもこの経験を生かして秋以降の戦いに大いに期待したい。
  猛暑の中、上田校長、三浦前校長をはじめ、教職員、父母、体育支援会の方
 々が応援に駆け付け熱意籠った声援を送っておられました。
 同窓会からは徳田会長(感想文)、山本副会長(写真)が応援に参加して来ました。
 
 

 第32回大高遠足に参加
 平成27年5月8日快晴に恵まれ、約300名の生徒が参加して実施された。
 吉野山駅広場でガイダンスを受け、上田校長から目的や意義をお話しされた後、
 8時30分に2年生から順次スタートする。同窓会からも2名がオープンで参加し、
 爽快な初夏の気分を現役学生と共に味わう事ができました。
 第1CP地蔵峠を11:15通過、道の駅R309で昼食・13:15出発、第2CP広橋峠15:15
 スタートし、ゴールの母校には17:30に到着し総距離32kmを踏破しました。
 
 
 
 校門を潜ると玄関前では育友会の方々から愛情の籠った温麺を戴き、同窓会は
 飲料のサービスをして学生の皆様に喜んでいただきました。

 平成27年度春季高校野球奈良大会
 4月8日佐藤薬品スタジアムにて1回戦を奈良女子大付属高校と対戦しました。
 接戦の末、惜しくも3対4で敗戦し、とても残念でした。
 でも、戦いぶりからみて夏季大会はかなり期待が持てそうです。
 前三浦校長様もスタンドに駆けつけて戴き大きな声援を送っておれれました。
 夏に向けて同窓生の応援参加もよろしくお願い致します。

 第96回高校野球奈良大会
 平成26年7月15日11:00am 佐藤薬品スタジアムにて一回戦が行われました。
 結果は残念ながら10対0で5回コールド負けでした。
 でも、ゲーム自体はワンチャンスを生かしておれば可なり接戦になったと思う。
 最後まで望みを捨てずに一生懸命戦った選手達には大きな拍手が送られました。
 また、スタンドでは猛暑の中、ブラスバンド演奏、校旗掲揚&応援団、現役生、
 三浦前校長、上田校長はじめ教職員、ご父母、体育支援会メンバ等が一団となっ
 て熱心に最後まで激励・声援を送られていました。
 翌日の読売新聞では笑顔と好リードでチームを支えた奥野捕手や歴代主将から
 受け継ぐお守りの紹介、また木田監督の談話等も掲載されていました。
 
 
 なお、同窓会からは4名応援に参加しました。

 第31回大高遠足に参加して

 平成26年5月9日、三週間順延になった大高遠足が実施されました。
 参加人数は324名(1,2年生296、教職員25、同窓会3)が中庭に集合し
 オリエンテーションの後、上田校長からこの企画の意義や目的を話さ
 れ、同窓会員の参加や前夜黒滝村CTVでの放映紹介もされました。
  
 午前8時30分予定通り東門を2年生を先頭に出発、才谷10時28分通過、
 第一チェックポイント地蔵峠には11時23分到着、少し休憩を取って再び
 歩き出す、脇川・寺戸.・堂原・御吉野を通過しこもれびホールには12時
 10分に着く。早速待望の弁当をそよ風を受けながら味わう。
  
  
 充実した昼食に気分をよくし、少し早めに歩き始める。暫くすると女子の
 先頭二人に激励のエールを送って戴き後ろ姿を視ながら頑張るも到底
 及ばず視界から消えてしまった。先生とクラブ活動の話をしながら軽快
 な足取りで追越してゆくグループ、大きな声で明るく挨拶を交わす女子
 生徒に応えて手を振ってくれる地元の方々、同行できてとても嬉しい。。
 粟飯谷からは南南西方向へ辿り、蛇が谷R309へは13時15分に到着。
  
 休息時間を兼ねて、昨年母校創立90周年記念事業と同時に植樹した
 「大高遠足30周年記念植樹の枝垂れ桜」の写真を撮った。地元の人
 に聞いてみると今年は『素晴らしく綺麗にさいた』と言っておられた。
 また、20周年の時に植樹した記念木も約10m程に成長していました。
 これからも、この場で巣立ち行く大高生を見守ってくれているでしょう!
  
 蛇が谷を過ぎると暫く西日を真面に受けながら丹生に向かう。
 川の流れが大きく北向きになり、やがて丹生川上神社を過ぎると広橋
 峠へと向かう、トンネル工事現場を通過すると最後の難関を迎える。
 なだらかな長い坂道の歩道を只管歩き続けて、旧道に入ると急峻な
 登り道に変わる。我慢を続けて約5分、ようやく第二チェックポイントに
 辿り着く。北西の遠方には葛城山、二上山が霞んだシルエットで浮か
 んでいる。広橋峠を14時45分に出発して梅林の中道を通り過ぎ、岩森
 の街中を歩いると豪快なステップで上田校長が追いついてこられた。
 暫く我慢してお付合い頂くも、私の遅いテンポにたまらず風のように消
 え去られた。高校生時代の下市や下渕の街並を回想しながら歩いて
 いると、やがて近鉄の踏切が視野に入り、愈々懐かしい登校坂に差し
 掛かる。重い足取りで校門を潜った時、先生方・保護者の方々・先着
 の在校生の皆さん達が大きな声と笑顔で迎えてくれました。この感動
 の瞬間を味わった36K・16時30分は何時までも忘れないものでしょう! 
  
 ゴールでは心も温まる美味しいうどんサービスをして頂いた育友会役
 員の皆様、そして途中の誘導や安全管理の為、度々先回りしてサポ
 ートして戴いた先生方に感謝致します。
 なお、当日は同窓会として冷たい飲料サービスの提供をしました。
    2014.05.10 感想文 吉野正史 (高11回卒)


 アメリカ、カナダ「交剣知愛」の旅
             
平成25年11月1日 松尾剛男 (大阪支部長 高校第11回卒)
 
 73歳の誕生日を記念して、2013年10月12日~20日まで剣道仲間4人とシアトルを
 中心として、その後ビクトリアへと足を延ばし、各地で剣道を通じて「交剣知愛」を楽
 しみ、有意義な旅をしてまいりました。
 <到着日> シアトル市内を観光し、夜は今回旅のお世話をして戴いた伊藤家でディ 
 ナー・パーティを催していただき、ご近所の皆さんと剣道仲間が集まってワインを片
 手に楽しいお話しで過ごました。
 <二日目> 
午前中観光タクシーでフィシャーマンズ等を見学し、午後からシアトル
 剣道会の今西先生(七段)の道場で親善稽古会を行いました。参加された皆さんは
 日本以上に礼儀正しく、基本に忠実な練習振りに驚きました。練習後、今西先生か
 らの要請で「日本の剣道」について講義をしました。特に“無心の一撃”や“取組姿
 勢”についてお話しをしました。・・・要約は以下の通り
  ○ 剣道の試合で相手と対峙した時、「敵は相手ではなく、自分の心である」。
  ○ 剣道には「四戒」という言葉がある。驚いたり、恐れたり、疑ったり、惑ったりする
    心の状態を云う。
  ○ 相手と対峙した時に起きる心の、或いは心の状態を抑え切れない状態、これを
    剣道の四戒といって、大なる病癖として戒めている。
  ○ 「無心の一撃」を解り易く言えば「捨て身の一撃」、要するに「全ての邪心を」捨
    てて打ち込む」ことである。
  ○ 剣道は”練習で泣き”、”試合で笑う”こと。
    練習は一生懸命に泣くほどやって欲しい。その努力を続けていると何時かは必
    ず試合に勝って笑うことが出来る。
  ○ 昔から「礼に始まり礼に終わる」と言われているように、極めて大切なものとさ
    れてきた。どんなに技が上達しても、品位や人柄が欠けていては本当の剣道
    を習ったとは言えない。
 
○ 良き指導者の下で「正しい練習」をして、「正しい試合をする」、そして「正しい
    剣道形を習得して向上していって欲しい。
  ○ 剣道は終生「人間形成の道」であることを説いておいた。
 そして練習後、シアトル道場主催の懇親パーティでは正に「交剣知愛」の親睦を図
 ることが出来ました。
 <三日目>
 レニア山へハイキングする予定でしたが、オバマ政権の政治混迷によ
 って国立施設は全てクローズされ、残念ながら中止になりました。代わりにスノー
 コールミー滝、スペースニードル、ガラス館等を見学、そして夜はシーフードレスト
 ラン『SARUTY'S』で食事会、誕生日祝等で盛り上がりました。
 <四日目> ボーイング社エベレスト工場、航空博物館を見学し、アウトレットでシ
 ョッピングを楽しむ。そして夜は再びシアトル道場で練習し、その後伊藤家の晩餐
 会に招かれ、ホテルへ帰着したのは0時30分のハードなスケジュールでした。 
 <五日目>  早朝からカナダのビクトリアへ約2時間の船旅に出る。船上で出会っ
 たプロゴルファーのJOHN・MASONと二人で楽しく会話、身振り手振りでゴルフの
 話や剣道(侍)の話等で、大変思い出多い出来事でした。午後からはTHE BOTC
 ART GARDENを見学、特に日本庭園は素晴らしかった。夕方からは林先生(7段)
 の紹介でビクトリア大学剣道部と楽しく、そして厳しい練習を行い、その後PUBB
 で「交剣知愛」を深め、ホテルに帰還したのは深夜の0時だった。
 <六日目> 林先生の案内でROYAL BC MUSEUMを絵画を鑑賞し、昼食は久し
 振りに「すし屋」に入る、日本酒は本当に美味しかった。夕方、ビクロリア港を出
 発しシアトル目指しての船旅になる。
 <七日目> 朝からシアトルニューキャスルゴルフでプレーを楽しむ。午後からは
 TAIYOU PACIFIC PERTNERS LPを訪問し、マイケル・キング、CFA(創業パート
 ナー・最高投資責任者)と面談機会を得る。日本への投資について色々良いお
 話しを聞かせて貰った。オーナーから折角の機会であることから牧場への案内
 を受け、ご好意に甘えて乗馬の経験もさせて頂いた。夕方からは小池先生(7段)
 がご指導されているNW道場(約40名)で練習に参加し、終了後にした「剣道につ
 いて」の話は大変喜ばれました。
 その後、メキシカン、タコス、で盛大な懇親パーティーがあり、次回日本での再会
 を約束する。
 <八日目> シアトルタコマ空港を後にして日本への帰路に就く。

  
 
           seattle ashram                        victoria ashram

 今回の「交剣知愛の旅」は大変楽しい、そして国際交流も出来た本当に有意義
 ものになりました。
 私は73歳、教士、七段を取ってから10年になり、漸く八段を受審出来る経過年数
 になりました。11月末には東京武道館にて最高段位の八段にチャレンジ致します。
 『人生、終生チャレンジャーでいたい』、これが私の健康で長生きの秘訣だと思っ
 ています。
 これからも、「楽しい剣道」を通じて良き友とよく遊び、良く学び、「交剣知愛」を深
 めて参りたいと思っています。

 第95回高校野球 奈良大会応援
 組合せ抽選会が7月1日橿原文化会館小ホールで行われ、13日から佐藤薬品スタ
 ジアムで行われるた。大淀高校は20日第4試合に五条高校と対戦した。
 登録選手11人は出場校中最も少ないが全員一丸となって戦ったが、10:0(7回コ
 
ールド)で敗戦した。4回の無死満塁のチャンスを生かせず残念な結果に終わった。
 でも守備では3回無死1,3塁のピンチをトリプルプレーで切り抜ける等点差以上に見
 応えのあるゲームでした。・・・来年に期待しょう!
 なお、同窓会からは中迫会長、徳田副会長、山本幹事が応援に言ってくれました。

 体育支援会幹事会出席
 平成25年7月8日(月)母校会議室にて「平成25年度大淀高校体育支援会幹事会」
 同窓会からは中迫会長をはじめ4名が出席した。
  議題 1.24年度体育部活動の記録
         森下伊万里さん 第28回高校WL選抜大会で準優勝
         宇原拓也さん   男子ハンマー投げで県高校新記録樹立
      2.24年度体育支援会決算書
      3.24年度会計監査結果報告
      4.25年度体育支援会役員選出 
         <同窓会関係> 副会長:中迫、庶務会計:徳田、会計監査:駒谷
                     幹事:吉野、筒井
 
詳細は省略

 奈良県ユネスコ協会 研修会参加
 平成25年7月7日ビジターセンター吉野山にて奈良県ユネスコ連絡協議会公開講
 座が開催されました。当会のメンバも友人と一緒に参加して来ました。
    ○講座名:蛙飛びと蓮華会
    ○講師:池田 淳先生(吉野町教育委員会学芸員)
 蓮華会は金峰山寺の三大行事の一つで毎年7月7日に役行者が産湯を使ったと
 伝えられる大和高田市奥田にある弁天池の清浄な蓮の花を蔵王権現に供える法
 会です。
 蛙飛びは大青蛙を乗せた太鼓台が蔵王蔵へ練り込み、法要の後蛙飛びの作法が
 行われ、最後に導師の受戒によってめでたく人間の姿に戻ると云う、約1200年も
 続く伝統行事です。
  

 第30回大高遠足参加レポート
 大高恒例の1,2年生による大遠足が平成25年4月19日(土)に実施されました。
 例年であれば近鉄吉野駅前がスタートであるが今年は母校グランドで開催セレモニ
 ーを行われた。三浦校長の挨拶・意義・注意等があり、続いて30回記念にあたり同
 窓会中迫会長から祝辞と記念植樹(道の駅309に桜の苗木2本)の報告をされる。
 今年は4km延長され総踏破距離は36kmとなる。但し、1年生は途中の黒滝村の研
 修施設で一泊する。
 8時30分学校を出発、生徒の最後からついて行く。中迫会長が笑顔で見送り頂く。
 生徒との元気な挨拶や掛け言葉に励まされながら大淀・下市の街中を後にし、
 次第に坂道へとなり約3時間で第一チェックポイントの地蔵峠に到着して小休止。
 出発際にはお地蔵様に今日の無事を願って黙礼をする。
 峠からは下り坂約3kmで昼食場所「こもれびホール」前には12時30分に着いた。
 食後は1年生と別れて2年生の120名余りとなり午後1時過ぎに出発する。
 「道の駅309」では3月29日に30回記念植樹した桜が咲いて祝ってくれている・・。
 生徒が半分になり歩く姿もまばらになった。生徒達は新緑の中声を掛け合いながら
 元気に歩いている。
 第二チェックポイントの広橋峠からの眺めは、金剛葛城連山をはじめ阿田峰や壺坂
 の山並みの眺望は元気をくれる。峠からの下り坂は足が滅法疲れる。下市の街中
 では前後に生徒が歩いていない・・・。やがて千石橋に掛かると母校が目の当たり
 に見えてくる。最後の力で商店街を抜け踏切から坂道を登る時、生徒の皆さんの気
 持ちはいかばかりかとの感がする。
 校門に着くと丁度午後5時、中迫会長・駒谷副会長・筒井会計そして先生方や先着
 の生徒さんたちが笑顔で迎えて下さった。
 そして育友会役員の方々には"にゅうめん”を用意して参加者を労って下さいました。
 体力の限界に挑戦し、仲間との親睦を深め、助け合い絆を学ぶことが出来ました。
                           徳田 初(高校13回卒 同窓会副会長)

  
  
  

 第94回全国高校野球選手権・奈良大会
 
平成24年7月22日 佐藤薬品スタジアムで母校野球部が1回戦に出場した。
 対戦相手は法隆寺国際高校で、奮戦したが力及ばず9対1で敗戦しました。
 でも、結果は大差ですが途中ではチャンスに得点できていれば、逆に一方的に勝
 ったかも知れないほどの好試合だった。ブラスバンドをはじめ先生方やご父兄の方
 々の熱心な応援は充分選手達に届いたと思いました。・・・次年度に期待しましょう!
   
   

 第29回大高遠足にオープン参加
 
今年は雨天で一週間シフトして、5月8日(火)に開催されました。
 この企画の目的は、歩くことを通して吉野の大自然に親しみ、自己の体力の限界
 に挑戦する。このことから苦しみに打ち勝つ強い体力と精神力の高揚を図り、新し
 い自己を発見する機会とする。またクラスの仲間との親睦を深め、助け合うことに
 よって、協力の精神を養うとともに、行程中の清掃などによってボランティア活動の
 体験及びその精神を学ぶ機会としている。
 校長先生の激励の言葉をはじめ、注意事項等の説明をうけて、近鉄吉野駅を8:30
 に出発した。勝手神社⇒才谷⇒鳥住⇒地蔵峠(1st CP)⇒寺戸⇒蛇ヶ谷⇒広橋峠
 (2nd CP)⇒岩森⇒善城⇒下市町内⇒大淀岡崎通⇒学校の32kmのタフなコース。
 チーム編成を組んで助け合い元気よく歩く在校生に混じって私達OBも2名参加させ
 て頂いた。相当疲れたが途中で育友会の方々が給茶サービスをしてくれたので
 大いに助けられました。最後の登校坂を登り校門を潜った時の感動は最高でした。
   
   
   

 東日本大震災支援募金活動

 平成23年5月8日()3月11日発生した未曾有の大地震と
 大津波による 被害を受けられた東日本の方々に少しでもお
 役に立てるよう、総会開催 時を利用して皆様にご協力をお
 願いしました。多数の出席者 の方々からご理解を得て、お
 蔭様で総額38,642円を集める事が出来ま した。
  このお金は日本赤十字社を通じて被害地域の方々にお使い
 頂きます。
 改めてご協力戴いた方々に、この掲示をもってお礼と報告と致します。
 有難う御座いました。 同総会担当者一同


 夢千夜一夜物語の紹介
  2001年に「平成千夜一夜物語」を発行された前坊義尚さん(第2回
 卒)が、この度9年の沈黙を破って、過去30年前から『時空の世界』を
 さ迷っておられ、空想の世界を体験されたことを『夢千夜一夜物語』に
 まとめられて、産経新聞出版 から再び発行されました。
とてもユニー
 クな発想とコミカルでアバンチュールな世界に貴方も浸って下さい。

   発行日:2010年10月10日
   著者略歴:1932年奈良県吉野郡に生れる
          大阪市立大学医学部卒業
          医学博士取得
          現在大阪で針中野診療所 前坊医院開業


 剣道と人間形成
                                平成22415
                                   
第11回卒 松 尾 剛 男
  なぜ、私は剣道を始めたのでしょう!なぜ、私は今も剣道をやっている
 のでしょう!そして、なぜ私はこれからも、剣道を続けようと思ってい
 るのでしょう!

 
それは、剣道は「御剣の道」で「生きる道」だからです。剣道は「生涯
 修行の人間形成の道」と言って良いでしょう。
 剣道では特に指導者と学習者が互いに身体を張って修練するため、指導
 者の人格が学習者の肌を通して伝わりその影響力は大きい。よって、優
 秀な指導者の存在は重要な意義をもっております。「初心者の剣道指導
 においては優秀な指導者によって、適切な指導がなされる事が生涯を決
 定するといっても過言ではないでしょう。教育は模倣から始まるといわ
 れております。

  よって、少しでも優秀な指導者となるべ く、私は今も技術的、精神的な修練に努め
  ております。
 ところで、平成
24年から中学校において武道が必修になり、1年生から
 3年生まで剣道が必修正課になりす。
私の地元の中学校では、平成22
 から全国に先駆けてモデル校として剣道の授業を始めております。
私は
 現在、剣道教士“七段”を取得しておりますが、指導していく立場上、
 昨年7月に全日本剣道連盟公認・社会体育指導員初級から中級を受講し
 、指導者として一から勉強を為直し、チャレンジして無事資格を取得い
 たしました。そして、その勢いで引続き日本体育協会の「スポーツ指導
 者」から「スポーツ上級指導者」へもチャレンジしております。私は中
 学校の「剣道の授業」で生徒に人間形成について、次のように指導して
 おります。
 『皆さん、中学時代は“自分の色をつくり出す時”です』日本人は、海
 も青、空も青、木の緑も青で表現します。青という色ほどはっきりとし
 ない漠然とした色はない・・・これから色になる色です。だから青年と
 いう言葉には「これから成長していく」という意味が含まれています。
 今はまだ、曖昧な色をしているけれども、社会で活躍するためにこれか
 ら自分の色をつくっていく。青年とは、それぞれの色を成長させていく
 大事な時期なのです。
 そういう自分に色を見つけるのが、まさに中学時代と言っていいでしょ
 う。皆さんはこれから一人ひとりの夢を持ち、一人ひとりの生きる姿勢
 によって、人生を作っていかなくてはなりません。その為の基礎つくり
 が中学時代なのです。そういう意味で「今なすべきこと」を考えてこれ
 から行動して欲しいと思います。皆さんこれからの人生「時間の使い方
 で自分の人生が変わる」という事をしっかり自覚して行動して下さい。
 人には個性があります。それぞれの人の努力は、その人の光となり輝き
 になると信じています。どうか、将来「私の人生はバラ色よ!」と言え
 るように、今一度、努力を続けて下さい。
 “自分の幸せに繋がる人間形成の「生きる道」へ”・・・。
 私も、今年で
70歳になりますが、何時までも元気で生涯剣道に挑戦し、
 人間形成の「生きる道」に向かってひたすら努力を続ける所存です。

      



 全国高校総合体育大会(2009近畿まほろば総体)
 平成21年7月28日~8月20日迄奈良県を中心に近畿2府4件で開催されました。
 平城遷都1300年を来年に迎え「君が今、新たな歴史を創る」をスローガンに、出場
 選手は29競技で約25000人、
 我が母校からはウエイトリフティングで3名出場しましたが、健闘及ばず入賞を果た
 すできませんでした。
 会場の奈良県立橿原公苑第1体育館には、大勢の選手や応援者が集まり、活気と
 緊張が漲っていました。
 前評判では自己新記録の期待が大きかった3選手だけにとても残念に思います。
 (8/11杉島77kg、8/12西84kg、8/12桝田105kg)
 次のチャンスには是非実力を発揮してくれるものと確信しています。
 なお、当大会の会長には母校の西岡英明校長が任務されました。
  


 素敵な先輩高貫正子さん
 平成21年1月24日九段会館で開催された関東支部同窓会で、高校第2回卒の高貫
 さんが、2006年4月6日から7月15日までの101日間世界一周のクルーズをされた体
 験談を興味深く聞かせて戴きました。
 自然の雄大さや美しさ、人類が残した偉大な文化遺産、多民族との交流等に接し、
 とても良い刺激を受けられ、“いくつになっても、人生は勉強”をモットーに、趣味も広
 くお元気でお過ごしになっておられます。
 そのコースや寄港先の様子の極一部を写真で紹介します。
 (なお、写真はmopasのhome pageから抜粋し、掲載させて戴きました。)
  
     
     
     
     


 故郷紀行  
               
            寄稿者 2008.07.15  高校第2回卒 森 勝彦さん(元同窓会長)

 
 去る6月下旬(平成20年)13年振りに中国河北省張家口市へ里帰りをしてきまし
 た。小学校から中学2年終戦による引揚げまで約7年余り過した所です。北京から
 西へ汽車で約4時間、新しく出来たハイウエイで約3時間のところにあり、私にとっ
 ては第二の故郷とも言うべき所です。
  
戦後初めて張家口を訪問したのは、1985年、次に行ったのは開放された年の19
 95年、今回は3度目の訪問でした。張家口市は昔からモンゴル方面の隊商の中継
 点であり、また軍事上の重要拠点でした。
  市の北区には1485年に築造された大境門という長城の立派な関門があり、そこ
 から東西に険しい山岳の尾根を延々と万里の長城線が続いています。
  大境門には「大好河山」(麗わしの山河という意)と大きく書かれた扁額が架かっ
 ています。張家口の郊外には更に二重に長城線(外長城という)が築かれていて、
 この地域が北方民族の襲来に備える重要拠点だったことが判ります。
  
今回の訪問は市内の北方学院第一病院の創立70周年記念式典に招待された
 ものですが、もともとこの病院は昭和13年に日本人によって設立されたもので、当
 時中国人や蒙古人の医学生を募集して教育をしていたこともあって終戦後も医療
 機関として存続していました。昨年新しく22階建て1300床の総合病院となり張家
 口市をはじめ河北省(その面積は台湾とほぼ同じ)や内蒙古地方の医療の拠点に
 なっているのですが、張家口市では、この病院が今あるのは日本人のお蔭である、
 という敬意を表し昭和13年から70年目の今年、記念式典を行い友好団体である
 「日本張家口会」のスタッフを招待してくれたのでした。
  中国では江沢民以来、反日政策による反日教育が徹底していて、かつての毛沢
 東や周恩来、隥小平の親日観は蔭を潜めてしまった中で、戦争中の日本人の行為
 をこのように評価するということは稀有なことだと思われます。
  張家口滞在中の三日間、病院長(49歳の女性)副院長、教授、総婦長などが付
 きりで宴会や見学、観光に付き添ってくれたのには驚きでした。
  病院の広いロビーには高さ2メートルの の記念品が置かれ、そこにはこの病院
 を開院したのは日本人である、それから70年を迎えた。と書かれてありました。
  13年ぶりの町はすっかり変わっていました。古い町並みは取り壊されて大きなビ
 ルやマンションが林立し、きらびやかな商店街が到る所に出来ていて昔の面影が
 残っているのは私が住んでいた城内(城壁で囲まれた一画)だけでした。城内の明
 代の町並みは私達が昭和20年8月に脱出して以来全く手入れをしていないらしく
 鼓楼の上から見る屋根屋根は草茫々で痛み放題、趣のあった石畳の街路も随分
 汚くなっていました。
 私の旧居の四合院の中は掛け出しの部屋を作ったりして中庭が無くなり六家族も
 住んでいました。
  今回の張家口訪問で最も行きたかった所は市の北西郊外にある丸一陣地という
 戦場でした。当時張家口に駐屯していた響旅団は昭和20年8月15日の敗戦以降
 、大本営や北支派遣軍司令部からの再々の即時停戦と武装解除(降伏)命令を拒
 否し、「我々は張家口に集結している在留日本人をソ連軍の蹂躙から守る責任があ
 る。
 ソ蓮軍の張家口侵入を阻止して戦う。」と打電し、整然と丸一陣地に布陣したのでし
 た。響旅団司令部ではすでに満州におけるソ連軍による略奪、暴行、殺戮や在留
 日本人の集団自決等の惨状を入手していたので、司令官根本中将は張家口に向
 かって現在進行中のソ連軍の張家口侵入を阻止することを決意したのでした。
  そして終戦から四日目の8月19日未明から響部隊約5千名は、張家口市を目指
 して侵攻してきた四万二千のソ連軍機甲部隊を迎え撃って一歩も退かず激戦を繰
 り返し、在留日本人の全員脱出が完了する8月21日夜半まで丸一陣地で頑張り通
 して撃退し、遂にソ連軍の張家口侵入を阻止した、という戦場跡です。
  この戦場跡で日本兵82名が戦死しました。私は自分が生きているうちにその戦
 場跡を訪ねお礼を言いたかったのです。

  その年の6月私が負傷して張家口陸軍病院に入院中、隣室の加藤少尉(和歌山
 出身)に弟のように可愛がってもらったのですが、その加藤少尉もこの戦闘で戦死
 しました。それで尚、どうしてもその地に行きたかったのです。
  戦場の兵陵は広々と夏草に覆われていました。そしてその斜面には何度も白兵
 戦が繰り返された戦車壕が今も延々と残っていました。

  もう直ぐ8月15日ですが、毎年この日が来ると当時の状況が生々しく甦ってきま
 す。玉音放送があった時は私達は学徒挺身隊として響5331部隊に所属し、銃を
 持って寝泊りをしながら警備に当たっていました。玉音放送後もそのまま部隊にい
 たのですが、19日からは大砲の音が聞こえる中を私たちは弾薬庫から対戦車砲、
 野砲の弾丸をトラックに積み込む作業に必死でした。学友達は今もあの時の弾丸
 の重みを忘れない、と言います。私達に解散命令があって家に帰ったのは21日で
 した。それから阿鼻叫喚の引揚げと苦しい抑留生活が始まったのでした。
  私達にとっては玉音放送から後が大変だったのです。しかし自分にとっては、広
 大な大陸で育ち、大陸での戦争中の色々な体験は良い意味で自分の精神にすく
 なからぬ影響を与えたと思っています。

  今、NHKでは「戦争証言」というタイトルで南方戦線のレイテやマニラ等での悲惨な
 戦闘が伝えられています。武器弾薬、糧秣の補給もないまま激しい敵の攻撃を受け
 て軍隊としての統率機能さえも失い、挙句まともな武器も持たない突撃や病気や餓
 えのために、どれほど多くの兵が死んでいったことか、これらの結末は大本営の非
 常識で余りにも無謀な作戦によるものですが、その為に命を失った兵士たちの無念
 を思うと残念でなりません。
  しかしこのような悲惨な負け戦ばかりの話の中にあって、キラリと光るような日本
 軍将兵の働きがあったことをぜひ知ってもらいたいと思っています。
  響部隊は大阪など関西出身の者が多い部隊でした。大阪の部隊は日露戦争以
 来「また負けたか八連帯」などと揶揄されて弱い部隊だと評されていたのでしたが、
 その兵士たちが「ソ連軍による殺戮から在留邦人を守るのだ」という意気のもとに
 丸一陣地に踏みとどまって激戦に耐え多くの戦死者を出しながら遂にソ連軍の張
 家口侵入を阻止したのです。
  最近丸一陣地での戦闘で最前線にいた重機関銃小隊の元兵士にお会いしたと
 き、あの時は根本司令官の「在留邦人を守るのだ」という決意がいつの間にか全員
 に伝わり、それでみんな「よし、やろう」という気持になったのです。と話され、私は胸
 が熱くなりました。
  また、その時旅団司令部付だった高野少尉は戦後、「今朝、満州の日本人孤児た
 ちのテレビを見ました。
 “あの悲劇だけは未然に防ぐことが出来た。”私たちの生涯に誇りを得るものがもし
 有るとすれば、この一事だけだはないかと思います。」と述懐しています。戦争が終
 わってのちの戦いにもかかわらず、誰一人脱落する者がなく一丸となって在留邦人
 を守る為に戦い抜いた部隊があったことを知ってもらいたいと思っています。


 第90回全国高校野球選手権奈良大会
 平成20年7月10日午後1時40分、橿原球場で行われた高取国際高校戦の応援に行ってきました。
 蒸し暑い中、在校生の応援とブラスバンドのコンビネーションも良く、スタンドは一体となりました。
 息詰まる熱戦でしたが、結果は高取7:6大淀で惜敗しました。後一歩及ばず、とても残念でした。
 
応援には、ご父兄や体育支援会の方々もご熱心に参加して戴いていました。
     

  


 第25回大高遠足に参加して

 平成20年5月9日心配された天候も好転し、曇空で爽やかな初夏の風が吹いていて、
 歩くには最高のコンディションである。午前8時10分、吉野駅前広場で点呼が始まり、

 西岡校長先生からは出発にあたって留意事項や取組みについてお話をされました。
 8時20分いよいよ約300名の生徒がスタートする。
 同窓会からは二人(11回卒:中迫、吉野)がオープン参加をさせて頂きました。
 若葉が映える急坂の七曲りを一気に昇り詰めると、歴史を彷彿させる街並に出る。
 沿道の方々と元気良く挨拶を交わしながら、同行の中迫さんと並行して、32km完走を目差し
 てリズム良く足を運ぶ。
 格式ある黒門を潜り、吉野山のシンボル金峰山寺の脇を通過して、東南院境内に佇む芭蕉の
 句碑を覗いて、勝手神社前を右折する。方角は西南に向き、両脇に杉桧の植林地帯を通過すると、
 見通しの良い里山や田畑になる。少し疲れを感じるが、鶯が美しい鳴き声で癒してくれる。
 やがて才谷を過ぎ地蔵峠にさしかかった処で、現役学生のグループに次々と追越されて行く。
 でも、元気で気持ち良い挨拶や、励ましのエールを送って呉れるので勇気付けられる。
 追付いては離され、それを何回か繰り返している内に、第一チェックポイントの地蔵峠に辿り着いた。
 薄暗い片隅に安置されている地蔵尊に、この行事の無事遂行を祈願して一休みをする。

 在校生の方と記念写真を撮った後、急な峠道を足早に下りるとトンネルの右に出た。舗装された
 広い県道ではあるが交通量は少なく、紆余曲折は激しい。峡間を過ぎるとそこは脇川である。
 これで吉野町~下市町~黒滝村に来たことになる。これからは中迫さんが中学時代を過ごした
 
思い出話を聞きながらの楽しいウォーキングである。山菜摘み、川遊び、ストーブの薪運び、
 
旧校舎跡、今も少し残る廃道等50数年前にタイムスリップしてとても懐かしいものである。
 寺戸に着くと黒滝中学校の卒業生が、恩師とフェンス越しに大きな声で出会いを喜びあっている、
 ・・・・その光景に素晴しい師弟関係が伝わってくる。
 今年も此処で、育友会、体育支援会の方々が給茶サービスの声を掛けてくれた。
 阪中前育友会長他旧役員の方々のお顔も拝見し、この行事の支援姿勢に感心する。
 遠慮なしにお言葉に甘えて冷たいお茶を戴き爽快な気分に浸る。
 鋭気が蘇ったところで、中間点を目差して再び歩き始める。
 途中の民家や土手に咲く美しいは花木は、優しく語りかけてくれるように見える。
 槙尾川に沿って大きくうねる道は厳しい人生を教えてくれているようにも思える。
 やがて「黒滝森物語村」の前に来ると、川幅が広くなり直線の広い道になってきた。
 もう第2チェックポイントR309(中間点)も近づいている。
 ほんの僅かに残した旧校舎跡の前を左折すると眼前に現れ広場に到達した。

 道の駅「R309」内庭の奥にある『第20回記念植樹』の桜は、私の身長より遥かに高くなり、
 5年の歳月を如実に語っている。記念樹をバックに二人で記念写真を撮って戴いた。
 あと5年後には30回を数えることになる。発案者の後勢九右衛門先生(第11代校長)が
 生きておられたら、
さぞ御喜びになられると思うと、何か感慨深いものがある。
 辺りが騒がしくなり、庭にはいつの間にか大勢集まって昼食を楽しんでいる。
 我々も初夏の爽やかな涼風に浸りながら、快適な食の一時を過ごすことにした。
 出発前に校長先生と記念写真を撮って戴き、気分良くして後半の行程に挑戦する。
 黒滝川は笠木川と合流し、やがて丹生川となり、水量も増し彼方此方の大きな岩に当たって、
 水流に変化を来たし一際美しい川になっている。
 途中、少しコースアウトして中迫さんの実家に立ち寄らせて頂いた。
 広い庭に咲いている色とりどりの花を観賞しながら、野鳥の鳴き声を聞きながら戴いたコーヒー
 は最高の贅沢でした。
 許容範囲の違反だと自問自答しながら、得意の近道をしてロスタイムを吸収し軌道修正を図る。
 やがて丹生川上神社前を通過して、いよいよ最後の難所になる広橋峠にさしかかる。
 交通量も多くなり、大型車の通行で神経を使いながらも広い道に変わる。
 緩やかな直線の長い坂道を淡々と進み、交錯する旧道を眺めながら、明るいトンネルを潜り抜けると、
 進路を旧道にとり、広瀬谷から狭い急坂を気力で登り切ると、第3チェックポイントの法泉寺に到着した。

 殆ど休息時間を取らずに梅林の中を下りる。途中から見える金剛・葛城・二上山の眺望は素晴しい。
 在校生の人たちに色々と説明をしながら歩いていると、間も無く善城についた。
 昔しに比べて寂れた町を懐古しながら、時にはお寺の境内を覗いて時の流れを感じながら、秋野川
 に沿って歩き続ける。やがて前が大きく開け吉野川に合流すると、そこは千石橋である。
 渡る橋上からは母校の校舎が良く見える。・・・もうゴールは真近だ!
 商店街の通過途中で二人の同窓生に会い、勇気を貰って最後の登校坂を一気に登って校門に突入。
 既に大勢の生徒が帰還しており、お互いの健闘を称えあって、名物の大高遠足を完走する。
 終わりに、この感動を体験させてくれたのは、終始バックアップして下さった教職員、育友会、
 文化体育支援会の皆様、そして「おっちゃん!、おっちゃん」と親しく励ましてくれた生徒の方々のお陰です。
 心から感謝を申し上げます。ありがとうございました。 (紀行文:11回卒、吉野正史)

 cf, 大高遠足については、来る5月21日18:25~18:30に奈良テレビ放送で教育広報番組
      「教育ならニューズルポ」で放映されます。
    

    

    

    


 第89回全国高等学校野球選手権の応援
  奈良県高等学校野球連盟、朝日新聞社が主催する奈良県大会が、2007年7月14日から
  3会場(奈良県立橿原球場、大和郡山市営球場、奈良市鴻ノ池球場)で開催されました。
  我が母校は健闘しましたが、3回戦で惜しくも橿原高校に敗れました。
  現役学生、教職員、父兄、OBが一丸となって応援をし、選手も最善を尽くしていました。
  特に猛暑の中で終始熱演をしてくれたブラスバンド部員や応援団の皆様には感謝します。
  対戦結果は次の通り。
   1 回戦(7/19橿原) 大宇陀0:
7x大淀 結果的には7回コールドゲームで圧勝しました。
   2 回戦(7/23橿原) 吉野5:
6x大淀  接戦で、最後は意地をみせてくれました。
   3 回戦(7/24鴻池) 
:7x橿原   点差以上によい試合で、チャンスを生かしていれば勝てる展開。
      

     

     


 第24回大高遠足に参加して

  2007511日快晴の五月晴れのもと、今年も名物「第24回大高遠足」が実施されました。
 近鉄吉野駅広場に1
,2年生約300名が集合、西岡校長が目的,主旨を話され、
 担当教諭から注意事項等の説明を受けて、午前
830分一斉にスタートしました。
 3週間前のピンクに染まった桜見物客の賑わいから、新緑が目に映る清々しい古都に
 一変している。この時期吉野山は静かで、古い歴史や文化を偲ばせる雰囲気が漂い感慨深
 いものである。
街角に佇む地元人々に励まされながら、挨拶を交わし軽快な足取りで町並
 みを進むと、やがて勝手神社に辿り着いた。ルートを右に取ると周囲の景色も変わり若葉
 の美しい山道に入った。
真っ青な空の下涼風が頬を撫でて過ぎ去り、鶯の囀りを聞きなが
 ら軽快なピッチで歩き続ける。
後輩達と言葉を交わしながら、暫く平坦な道を進むと今度
 は長い坂道に差掛かる。これが前半の難所である地蔵峠だ。心気一転呼吸も整え、リズム
 良く歩いていると第一関門の頂上に到着した。
先着の在校生や先生方からエールを受け、
 記念写真を撮って小休止をした後、峠の地蔵尊に安全祈願をして、足早に峠を一気に下り
 ると脇川に出た。
これからは黒滝川に沿ってひたすら歩くが、途中民家の庭先に咲く名も
 知らぬ美しい花は疲れを癒してくれる。また大きな山を背景にしてつり橋に絡むように満
 開の藤は気力も与えてくれる。
この美しい自然や素晴しい環境が知らないうちに、若人に
 情感や感性を養って呉れるのだろう。
男女のグループに抜き・抜かれしながらも、出発か
 ら約3時間で中間点「道の駅
R309」に着いた。景観の美しい笠木川との合流地点に位置し
 、4年前の第
20回記念植樹の桜の木の前で弁当を食べる。約一時間の休憩中に校長先生や
 学生達と写真を撮り合い後半に向けて立上る。
名前を変えた丹生川沿いのR309になると交
 通量も少し多くなるが歩行には支障を来すことはない。舗装道路の照り返しも少なく、
 心地よい川風に汗をかくことも無く快調なペースが続いた。
50年前の学生時代の思い出
 を語り会いながら、歩いているとやがて丹生川上神社に至る。
ここで育友会の方々が用意
 してくれている給茶サービスで喉を潤し、体調を整えていよいよ後半の正念場に挑むこと
 になる。
長く緩やかな坂道を一歩一歩根気良く進こと30分、やがて急な坂道になってきた。
  少しバランスを崩しながら、苦しみにも耐え、我慢して踏ん張り続けていると、ついに広
 橋峠の頂上・第2
CPである法泉寺に辿りついた。この苦痛に耐えて乗り越えることが、
 この遠足の目的と大きな意義のあるところである。
暫く休憩を取ったあとゴールを目指し
 て歩き始める。頂上から見える北西方向の見晴らしは最高である。遠くに二上山
,葛城山,
  金剛山の雄姿が目に入り、裾野の街が一望できる。暫くして旧国道から細い梅林観光道に
 入り、見慣れぬ野草に立ち止まりながら散策していると、いつの間にか下市温泉に下りて
 来た。
民家の窓越しに声援を受け、昔の町並みを思い出しながら歩いていると懐かしさが
 甦って来る。
 千石橋に差し掛かった時、桜が丘の母校が目前に現れ一気に安堵感を抱いた。寂れた商店
 街を通り過ぎ、踏み切りを渡ると最後の坂道だ、・・。
学生時代はもっと長く急坂だった
 ような憶えがあるが、意外と短く勾配も緩やかである。
校門を潜るとそこはもうゴール、
 向かえてくれた先生方
,生徒達,育友会の皆様に感謝感激!・・。
 
特に育友会の方々が作ってくれた「うどん」の美味しさは暫く脳裡から離れることはない
 だろう。
 
お礼の挨拶を交わして校門を出ると、しみじみと満足感や達成感が沸いてきて大変有意義
 な一日であった。
この遠足を通じて、先生方,育友会の方々,後輩諸君,そして支えてくれて
 いる地域住民の人々と交流が図れたことにより、日頃感じなかった新たなライフ・ゾーン
 を見出せたような気がする。
(2007.05.11 体験記 高校11回卒 吉野正史)
    

    

    

 吟道を通じて斯道を守り、豊かな精神文化・社会浄化を目指す
 第11回卒業生の北川寿文さんは「吟道哲水流八州吟詠会」二代目宗家として活躍中です。
 この度、創立50周年の記念事業として11月26日橿原文化会館において「全国吟剣詩舞道
 大会」を開催されました。当日は奈良県知事をはじめ関係各界からも来賓として多数出席さ
 れ、盛大な式典が執り行なわれました。会員による合吟等も日頃の稽古の成果を遺憾なく
 発揮され素晴しく、館内には大きな拍手が響き渡っていました。また、全国から著名な先生
 方も来賓として参加され、模範の吟や詩舞を披露されて感動しました。
 斯道こそが精神文化の礎とし、その発展を夢みて奔走された初代の後を継いで25年が経ち
 ました。今や日本人の誇りとする精神道の衰退を懸念して、斯道をもって青少年の志操を立
 て直すことが急務と感じ、時代が変化しても人の道は変わることなく「誠」に満ちた精神の確
 立を信条として、斯道の発展に研鑽努力を続けらています。
 なお、当会は健康で平穏に吟道に勤むことの出来る幸せに感謝する意を持って始められた
 「愛の灯募金」も長年「社会奉仕活動」として継続されています。

   

   

無 心 が 生 み 出 す 剣 の 闘 士

第11回卆業の剣の達人松尾剛男さんは、現在地元「大阪狭山市立南中学」の選択授業で、毎週1回“楽しい剣道”を教えておられます。
『剣道は礼に始まり、礼に終わる』と言われますが、剣道を通じて健全で礼儀正しい子供達を育んで行きたい願ってご担当されています。
でも、これはなかなか“至難の技”で苦労の様ですが信念を貫いて頑張っておられます。また、これを恵まれた機会と発想転換し、今では週4日のハードな練習で両腕が上がらない程“剣道三昧”に浸っておられます。

こんな努力の甲斐があって今年8月博多で開催された剣道七段昇段審査には合格率6%の
厳しい難関を突破されました
。また10月には徳島での全国健康福祉大会(ねんりんピック)に大阪府代表選手として出場され大活躍されることでしょう。
松尾さんは『継続は力なり』を自分自身で実証し、その成果に感激を味わっておられます。彼は中学時代から剣道を志し、高校時代は環境がなくて一旦離れましたが、大学に行って再び剣を握りました。無段からのスタートでしたが卆業時には既に四段を取得、大阪学生剣道大会では個人戦で準優勝をし、当時は無名の選手が一躍脚光を浴びました。これが今でも最も記憶に残っている試合だそうです。試合では常に一戦一戦を“命懸け”で挑み、「技は捨て身から生れる」と自分の道を確立して五段までは順調に取得して来られました。しかし、六段目前になって椎間板ヘルニアを患い、以降約20年程剣道を離れていました。47歳になって期するところがあり再開をされ、54歳で六段合格、今回の七段も6回目の挑戦で遂に達成されました。その時はただひたすら「振り帰れば良い経験になる」と初心に返り練習に打ち込まれて来られたようです。
~ 落ちたら基本に戻る。無心で向き合うことは剣道だけでなく人間の基本でもある。~
現代に至るまで剣道に打ち込み、これからも剣道を通して社会に貢献できるよう、日々“無心の心境”で努力して行きたいと言う姿勢には感動しました。
最後に「健康なお陰で毎日お酒が美味しいという“おまけ”もあります」と笑った目尻が下がっていたのがとても印象的でした。
                               2003.09.30取材 吉野
                           
【松尾剛男さんの主な略歴】
S.38年 大阪経済大学卆、南海電気鉄道に入社
H.12年 関係会社数社の重役歴任後、大阪タクシー協会副会長就任
     全国乗用自動車連合会監事就任
H.14年 南海電気鉄道理事定年
現 在  南海電気鉄道剣道部監督、狭山剣心会師範

新刊著書の紹介

この度、母校の第11代校長で我が国の生物生態研究における権威者であられます御勢久右衛門先生(理学博士)が新刊書を編著されました。
       
『大和吉野川の自然学』トンボ出版(B5版208頁)

この書物は大台ケ原を源流とする吉野川・紀ノ川生態系の半世紀にわたる記録を纏めたもので,自然環境、水質、植物相、底生動物、魚類相の変遷,それに流域の民俗などについても記述され興味深い内容になっています。御勢先生は1965年から8年間にわり、日本の代表河川に指定された吉野川で実施したIBP-PF(国際生物学事業計画)の流水生物群集の生物生産力の研究は国際的にも高く評価され、特記すべき多くの研究業績を残されました。その後、マレーシア,インドネシア,タイ,中国,台湾等主に東南アジアを中心に生物生態の調査・研究に大きな成果をあげておられます。
また、これまでにも『河川の生態学』/築地書館、『和州吉野郡群山記』/東海大学出版会等約20冊の研究書、50余の市町村史に生物関係記事を掲載、論文集に至っては既に第14巻を発巻しておられることは衆知のとおりです。
これらの書物は数々の大学で教科書としても多く採用されており、また,長年にわたる広範囲な探検や踏査で培われた行動力や豊富な経験は、素晴らしい登山家でもあり、民俗学者でもあると思えました。近年では生物生態を経済学的視点から捉えられ、その理論も確立されておられます。
先生は今年“喜寿”を迎えられ、益々お元気な様子で嬉しいかぎりです。熊野古道が世界文化遺産に指定されるまでに、『和州吉野郡群山記』を是非ご一読下さることをお奨めします。そして指定された暁には先生とご一緒に在校生も交えて縦走できればと願う次第です。

2003.02.19 吉野正史(高校11回卆)
日 本 拳 法 部 O B / O G 会 ~先輩、後輩が一緒になって爽やかな汗を流しています!~

奈良県立大淀高等学校・同窓会の皆様お元気でご活躍のことと思います。私達は、大淀高校「日本拳法部」出身のOB/OGで平成5年1月『濫觴会』と称して日本拳法の道場を発足しています。
現在会員数は約200名で橿原市,高取町の公共施設で稽古を続けています。 主な活動目標は次の通りです。

・. 会員相互の親睦
・. 現役部員への支援、指導
・. 全日本大会および社会人選手権への参加
・. 日本拳法の一般普及および底辺拡大

これまで数々の全国レベルの大会で優秀な成績を残すことが出来ました。また平成12年8月には創立10周年記念式典開催と記念誌発行を致しました。なお運営組織は以下のよになっています。

会  長 中西 毅(高44回)  師  範 香美秀一(旧職員)
副 会長 井上 隆(高46回)  顧  問 嶋田和広(現教員)
副 会長 今西和広(高47回)  監  督 森口 保(高41回)
事務局長 原田利果(高44回)  コ ーチ 橋岡典昭(高45回)


心身の健康増進を図るためには最適の生涯スポーツと思います。機会があれば是非一度お越し下さい。
……“見学大歓迎”詳しいお問合せ先は右の通りです。
電話0744-52-3689(香美宅)


画  廊 “ 桜 ケ 丘 ”

画廊“桜ヶ丘”の支配人に杉本省三さんをお迎えしました。彼は第11回卆(昭和34年)で、学生時代から絵に愛と親しみを持ち続けている素敵な紳士です。…愛称『chappyおじさん!』絵画に関することは何でもお気軽にご相談下さい。

なお連絡先は次の通りです。
E-mail:chappy@topaz.ocn.ne.jp Telephone:0747-52-3894

当画廊への出展もよろしくお願い致します。

弘田先生 卆壽記念「第2回 洋画作品展」 ”

今年卆壽を迎えられた弘田芳弘先生が2003年10月22日~10月26日までの5日間、奈良市内の『ギャラリー まつもと』で個展を開かれました。先生の「一水会」,「研水会」入選作をはじめ約30点の素晴らしい作品が展示されました。その個々の絵には先生の優しい人柄や幅広い感性が充分伝わって来て今回も大好評でした。活動範囲も日本各地におよびその行動力にも感心させらしました。これからもご健康で引続き大作を描き続けられるよう祈念いたします。                        2003.10.27 上野芳子
     

画  廊 “ 桜 ケ 丘 ”

皆様の作品を出展して下さい。<氏名、卆年、題名、制作年月日、コメント記入>

連絡先:〒634-0051橿原市白橿町1-17-32 吉野正史(電話:0744-26-6056)

出展者・弘田芳弘先生の作品(昭和33年~36年まで在籍)

「酒蔵」 「墨店」



出展者・坂本基義(高校第4回卆) 懐かしい新校舎 ~ 奇跡的な作品との再会 ~

母校の高等学校は小高い丘の上にある。眼下に吉野川が流れている。前身は高等女学校で私は新制高校の発足と共に学区制でこの学校に入った。その時から男女共学になったわけだが、女学校の更に前進は農林学校であったので広い
演習林があったりしてなかなか環境が良かった。
先年母校を訪れたら、この演習林はどんな経過を辿ったのか跡形もなくなり、びっしり住宅が建ち並んでいてがっかりした。電車の駅から2~3分といえば如何に田舎とはいえ一等地…、止む得ぬことかも知れないが惜しいことをしたものだ。
私が油絵を描き始めたのは高校生の頃で、毎日毎日せっせと放課後制作に励んでいた。あまり毎日毎日絵を描いているので、ここを通って帰宅する小学生のなかには不思議に思った子がいたのか、私がその後美大を卒業し母校の美術教師になって数年経ったころ見知らぬ若い人から声をかけられた。その人は京都芸大を出てその年から我々美術教師の仲間に加わったのだが私を知っているという。その人は先に述べた小学生だったのだ。何だか自分の知らないことでも人はよく見ているんだなぁと、…・ちょっと驚いた。2年前ふとしたことで私の高校時代の作品を大事にしているという方がいるという。私は気になったのでどんな絵か写真で送って貰えないかと手紙を出したら、原作をそのまま送ってきて下さった。ベニア板の切れ端にかかれた小さな絵だったのである。作品を見て思い出したが、これは当時の中庭と新校舎を描いたものだった。
私たちが新校舎と呼んでいたのは窓枠に白いペンキが塗られ壁はエンジ色で終戦直後に出来たものらしく古めかしい明治調で、他の校舎に比べるとちょっとモダンで誰もがその教室が自分達のクラスになることを願っていた。その洒落た雰囲気にひかれて、私は何度かここにイーゼルを立てた。もと農林学校で女学校とあったからこの中庭にはモネを思わせるような睡蓮の池があり、種々の樹が植えられていた。
まだ未熟な絵だが真ん中に大きく枝を広げて立っているのは楠で、その左に電柱のように突っ立ているのは青桐、その下に小さく見えるのは確かグミの木と記憶が甦る。所々開け放された窓からは誰もいない放課後の室内がみえる静かな一時であった。
この絵を描いたのは何時だったかはっきり覚えていないが、おそらく夏休みが終わってまだ半日授業だった頃ではないかと思う。スケッチをしていて何気なく足元を見ると一匹の大きな青大将が悠々と近づいて来た。睡蓮の池には蛙などもいたからそれを狙って来たのだろう。私は一瞬ギクッとしたが青大将は居ずくこともなく立ち去った。母校はその後幾度となく改築の手が加えられ、この新校舎も睡蓮も今はない…。この絵は美術部の先輩の方が今までずっと机の上に立て飾っていて下さったという。
送られて来た現物はベニア板一枚のまま、戦後のことで絵の具の質も悪くやや黒ずんでいるがとても懐かしかった。先輩は今、埼玉県に住んでおられる…。私は額縁も何も無いままでは可哀想と思いありあわせの簡単な額を付けてお返した。

    当時の新校舎

画廊店主より一言
坂本さんは元母校の恩師でもあり、現在は洋画家として創作活動を続けておられ、個展も2~3年に1回程度開いておられます。

出展者・杉本省三氏(高校第11回卆)

(左上)二月堂
(右上)赤膚焼
(左 )当麻寺

出展者・吉野浪子さん(高女1回卆)


(左上)鞠と女(右上)松園(左下)桔梗(右下)秋海棠
大淀高校同窓会に関するお問い合わせ先:fwkt4565@mb.infoweb.ne.jp

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