大五会ミニ同窓会盛大に開催
高校第5回卒の有志による同窓会が2019年11月15日に開催されました。
従来とは一味違った文楽観賞・カラオケ合戦と粋な企画で楽しまれ、有意義な一日
を過ごされました。母校や旧友を愛する姿に幹事の方も感激されたようです。
寄稿:畠山恒一様
高校第24回卒業生同窓会の開催
高校第29回卒業生同窓会の開催
高校第34回卒 学年同窓会の開催
高校第5回卒 最後の学年同窓会開催
高校第18回卒 学年同窓会の開催
昭和41年3月卒業から50年の節目を迎え、学年の同窓会を平成28年10月30日(日)
に橿原観光ホテルで開催しました。320人に案内状を発送、出欠の返事が254人も
あり、当日は72名の出席を得て盛会な同窓会となりました。クラス(7組)毎にテー
ブルを囲み、半世紀ぶりの再開に昔話や近況報告に花が咲きました。一次会の後
そのまま二次会に移りました。絶妙の司会でカラオケも盛り上がり、極めつけはステ
ージ衣装をまとってマジック(この日のために特訓)で拍手喝采となりました。50年前
にタイムスリップした楽しい時間もあっという間に過ぎ、校歌を大合唱しまたの再開を
誓い合って閉会しました。
幹事代表 楠 山 正 文
高校第13回卒 学年同窓会の開催
開催:平成28年10月23日(日)場所:橿原観光ホテル(カトレアの間)出席人数:64
名当日は好天に恵まれ、秋の深まりが感じられる神宮の森に近い処で開催しました。
千葉市、田辺市、寝屋川市等遠方からの出席者もあり5年振りの再会を楽しみまし
た。今回は各クラス4人の幹事が会合を重ね、開催準備を進め、出席者に出来るだ
け楽しんで貰おうと云う意見が出て各クラスから「特技」を披露することにしました。
その結果趣味を超えてプロに近い演出の会場は大変盛上りました。予定時間を30分
超え15時30分、5年振りの集いは閉幕となりました。次回開催は幹事4組で5年後の
予定です。
幹事 佐伯忠彦、大前善弘、畷 崇子、中林篤子
高校第2回卒 学年同窓会の開催
第66回桜二会を平成28年6月9日に下市温泉秋津荘で14名の出席で開催しました。
11時30分から記念写真撮影から始まり、森幹事の開会挨拶・堀内幹事の乾杯発声
後会食をしました。昨年以来1年ぶりの再会者が多い中、10数年振りの出席者もあ
り、学生時代の懐かしい話や近況報告等に会話が弾み、和やかな雰囲気の楽しい
会となり午後3時過ぎに来年の再会を約し閉会としました。私達の桜二会は昭和25
年の卒業以来毎年1回6月に開催し一度も休止すること無く66年間続いていますが、
さすがに高令化が進み、毎年2〜3名の方が亡くなられ悲しい想いをさされるのが
残念です。
第66回桜二会幹事 森 三郎
高校第7回卒 学年同窓会の開催
私共昭和30年卒業生の学年同窓会を平成28年5月20日橿原観光hテルで開催しました。
出席者は50名で賑やかでとても楽しい一時を過ごすことができました。
記事 平井良子
高校第5回卒 学年同窓会の開催
82歳を迎えられた37名の方々が和やかで楽しい集いを開催されました。
高校第3回卒 学年同窓会の開催
平成27年6月4日橿原観光ホテルにて29名の参加で開催されました。
皆様とてもお元気で和気藹々とした雰囲気は羨ましい限りです。
<写真提供:森 勝彦様>
高校第15回卒 学年同窓会の開催
大淀高校を卒業後、50年という節目に当たり、学年同窓会をしてはとの声があが
り11月22日(日)開催する運びとなり世話人会を立ち上げ準備に取り掛かりました。
初めてのことでもあり何人の出席があるか心配でしたが、意外と73名から参加の
旨お返事があり一同ほっとしました。
当日は顔を見ても名前が浮かばず話しているうちに昔の面影が浮かび当時の高
校生に戻るのに時間はそうかかりませんでした。話し時間を大目に設定してなつか
しい話に花が咲き時間のたつのも忘れるくらいでした。又学級別に合唱し年月のブ
ランクが嘘のように感じられました。次回は2年先に元気で出会おうとみんなで約
束し盛会裡に閉会となりました。
年齢と共に同級生という絆を改めて感じられ意義ある集いになりました。
昭和38年卒 幹事 筒 井 誠 子
高校第11回卒学年同窓懇話会の開催
平成27年7月14日(火)12:00am マリオット大阪都ホテルにて開催致しました。
ロビーでは56年ぶりの出逢いに感激し手を握り合う姿が彼方此方で見受けられ、
出席者57名(28%)で33名(14%)の物故者に黙祷を捧げてから開宴に移りました。
落着いたテーブル席では、懐かしい話に花が咲き時間の経過が忘れてしまいます。
また、20階からの展望は好天に恵まれ南東は金剛・葛城、南西には淡路島・明石海
峡大橋が眺望できて清々しい気分でした。会食が一段落したところで童謡・唱歌・
流行歌等を皆で合唱し、最後は校歌を力強く歌って母校の発展を祈念し中締めとし
ました。高校時代に戻れた僅か3時間は人生の貴重な1頁を飾ることでしょう!
今度は何時集まれるか?・・継続を誓ってコーヒーを味わいながら散会となる。
2015.07.15 代表幹事 松尾剛男
高校第17回卒 学年同窓会の開催
平成26年9月13日(土)橿原観光ホテルに於いて開催致しました。卒業後早や半
世紀と時間の過ぎるのも「アッ!」と言う間でした。当日の出席者は56名で卒業生
の約5分の1と少人数でしたが、数十年振りに顔合す同級生や、いつも出会っている
仲間達が一同に集まり、3年間の学園生活の思い出に花を咲かせていました。
参加者全員がそれぞれ昔を懐かしみ、語り合い短時間であったが親交を深め、
次回の開催を楽しみにして無事終了しました。
記 事:倉 谷 正 英
高校第5回卒業生 学年クラス会の開催 素晴らしい集いです!
第5回生(昭和28年卒業) 【傘寿突破
記念大会】 開催
2014年5月15日開催 於 : 橿原観光ホテル
この年の高校卒業生は、アメリカ占領軍行政の学制改革による、
新制中学・第
一回新入生でありました。
お仕着せの「完全学区制」の厚い壁は、志望校選択の自由を奪い、
しかし先輩たち
は、旧制中学から新制高校にカムバック!
・・・・地域結束型高校として、功罪相半ばの感でした。
何もかも戸惑うばかりの時代に育った同級生達も、アレヨアレヨ
と云う間もなく、
早や「傘寿(80才)」を迎えるに至りました。
2年に一度の 学年同窓会 は、回を追うごとに寂しくなり、前回は25名出席 の
惨状!・・・理由の大半は 「腰が痛い・脚がしびれる・おシリがカユイ」 とさ
まざまでした。 しかし、要するに「マンネリ」
が最大の敵であったことが判りました。
これは何とかしなければ、「二人だけの同窓会」も近いぞ と考え、世話人の顔
ぶれも一新!
モノの本に「何事も 衰退しかけたら思い切って派手に!」と書いて
あったの
を思い出し、ありきたりの 「往復葉書」を廃止。
代りに『呉服屋的派手なチラシ』と情報提供の返信用葉書としました。
世話人も夫々思い当たる旧友に電話作戦。 ・ ・
・、
主旨はとにかく
『愉快にやろう!!』 『元気を分け合おう!!』 でした。
捨てる神あらば拾う神あり。思わぬラッキーに恵まれて、或る著名な
音楽教育
学者の先生が、「ヨッシャ!ひと肌脱ごう!」
とリコーダーの女性バンド8名もの
メンバーを引き連れてボランティア御出演。
「全員大合唱」の伴奏も引き受けて
くれました。
果たして『出席』の返信ハガキは、前回の倍を超えて51名。やむを得ぬ
欠席
者も「せめて写真が見たい」という希望者が多いでした。
みんなで、声と心をひとつにして懸命に歌う 79才と80才の仲間達。
たった
半日で全員若返った感じ、実に《華麗》でさえあり、感動した若いホテルマンが、
眼をうるませていたのが印象的でした。
(記) 世話人 畠山 恒一
高校第24回卒業生 学年クラス会の開催
還暦の記念に平成25年11月10日、ルミナス神戸2に乗船して学年同窓会を開催
しました。(参加者;先生4名、生徒28名)
往復バス&船上では修学旅行を思い出しました。
中澤 弘先生、中林 悠先生、浦前正彦先生、杉村俊明先生には高齢にもかかわ
らず、華を添えて貰えてありがとうございました。
今後、同級生(登別市、江田島市、鹿児島県在住)に出会いに行く旅を開催予定
してますので、ご参加よろしくお願いします。 .寄稿 2013.11.11 幹事:山本誠治
高校第2回卒業生 学年クラス会の開催
卒業以来連続して開催され、今年で第63回を迎えた「修二会」は平成25年6月
8日午前11時30分より料理旅館『千石荘』(下市町)で開催さしました。
開会前に記念撮影、物故者への黙祷を捧げました。
挨拶(坂口幹事)、乾杯発声(森幹事)、会食・懇談(司会:滝谷幹事)と進行。
会食中は出席者全員が近況報告をし、また前田幹事による人生講話、老人体
操指導を受け、カラオケも楽しんだ。午後3時30分に来年の再開を約して閉会。
散会後希望者十数名で母校を見学したが、60年前の面影は殆ど残っていない
が、玄関・校庭等を眼にするとやはり在学当時の懐かしさが蘇ってくる。
参加者全員が大変喜んでくれました。 記事 幹事:森 三郎
高校第7回卒業生 学年クラス会の開催
平成24年6月10日(日)橿原ロイヤルホテルで開催しました。
当日は天候にも恵まれ好日でした。
午前11時より受付、43名の参加、11時40分より記念写真を撮る。
12時30分より熊谷栄三郎氏の司会で始まる。
会長の梅谷龍雄氏の挨拶、山内英尚氏の乾杯の音頭、各々自己紹介と続き
盛大に行われる。
最後に平野良子さんの指揮で校歌を唄って散会しました。
書記 山内英尚
高校第23回卒業生 学年クラス会の開催
平成24年6月2日(土)橿原ロイヤルホテルで昭和46年3月卒業の43名が集まり
和やかに開催されました。
高校第13回卒業生 学年クラス会の開催
2011年11月26日(土)橿原観光ホテルにおいて盛大に実施されました。
そして、5年後の再会を誓った卒業50年目の集いを有意義に過ごされました。
私共は、平成23年11月26日橿原観光ホテルに於いて「大淀高等学校第13回
卒業生50年目の集い」を開催致しました。高齢による諸事情から、恩師の
ご臨席はいただけませんでしたが幹事の皆様のご尽力により、卒業生235
名中、半数に近い95名(女子67名・男子28名)が出席する盛会となりまし
た。
この又とない大切な機会に、あの友に是非会いたいなとか、或いはその
友の昔日の姿を思い描き、また今の姿をイメージしながら、想いを募らせ
つつ、それぞれが会場を目指したと思いますが、待合せホールではそこか
しこに、大小織り成す歓談の輪が生まれ、再会の喜びに溢れていました。
その様な中で突然誰かに呼びかけられてもどなたか即座に判別できず、名
札に助けられながらハッと気づく事が多く、半世紀に亘る時の隔たりを痛
感した次第です。
開会冒頭の物故者に対する黙祷に続き校歌斉唱となりましたが、感激の
余り何故か涙が溢れて声が詰まり、目を閉じてじっと耳を傾けておりまし
た。是非合いたいと願った友との再会は、どの様な結果になったのか分か
りませんが、宴たけなわの会場ではそれぞれが再会を喜び合い、祝杯を重
ねながら若き日の思い出話を交換し、また会えなかった友や恩師の消息を
確かめ合う等、様々な話題が飛び交い弾んでいました。
これらに加えて、すっかり忘れていた楽しかった昔の出来事や、この場
に居なければ知る由もなかった、数々の心に沁みる打ち明け話にも接する
ことができ、元気に参加出来たことを喜んでいます。
その様な盛り上がりの中でアッと言う間に時は過ぎ、午後3時の閉宴が
迫り、5年後の「卒業55年目の集い」開催を採択し、散会しましたが、後
日5組のNさんがこの時の熱き想いを「半世紀を経て」と題し奈良新聞に投
稿され、それが同社編集部の「雑記帳」に掲載されました。そこには「私
の50年の集いは、会場へと続く銀杏並木で声をかけられた方の、名前が分
からず戸惑うことから始まった」「邂逅・何んと嬉しいことか。友・友・
友は宝だ。今日は懐かしさ以上のものを得た」「私は今後5年後までの目
標ができた。5年後にこの集いに必ず出席できる健康を維持しようと思
う」と記されております。
平成25年は大正12年設立の、吉野高等女学校から数えて、大淀高等学校
90年周年の節目を迎えます。母校の弥栄を心からお祈りしてお別れします
が、13回生の皆さん、Nさんのように5年後に向かってガンバリ、一人でも
多くの友とまた元気で再会しましょう。
平成23年12月 千葉市に在住 小西洋機
高校第8回卒業生 学年クラス会の開催
2011年10月23日(日)天王寺都ホテルにて52名の同窓生が参加されました。
何時まで経っても同期の桜は遠慮なく物が言えて楽しいものです。
高校第9回卒業生 学年クラス会の開催
2011年10月23日(日)橿原観光ホテルにて46名の方々が参加されました。
同日に吉野下市では第8回のクラス会も行われていたようです。
高女第14回卒業生 学年クラス会の開催
2011年5月12日(水)橿原オークホテルで開催されました。
昭和15年3月卒業生「美桜会」の皆様です。
今年90歳を迎えられますが益々お元気なご様子です。
高校第24回卒業生 学年クラス会の開催
2008年7月27日(日) 吉野郡下市の吉野川河畔・千石荘で開催されました。
今回は卒業後第2回目で、26名が集い、高校時代を懐古した一日だったようで
す。
高校第11回卒・3年2組の親睦旅行
2007年11月20〜21日、暫く途絶えていた名物クラス3年2組の親睦旅行が実施
されました。行き先は、瀬戸内海の風向明媚な鷲羽山での1泊旅行でした。
最後の集合場所・橿原神宮前広場を発つともう南阪奈道路に入り、途中長吉で
二人ピックアップすると、後は近畿道・名神・山陽と高速利用で約3時間で岡山県
域に達す。。途中、備前藩主池田光政が庶民教育を目的に開いた、 藩営として
は日本最古の庶民学校である閑谷学校を訪ねた。閑静な山間に佇む建物は、
往時の盛況ぶりを偲ばせる雰囲気が漂っている。
見学時間を惜しみながら目的地の鷲羽山を目指し再びバスに乗り込む。
心配していた天候もなんとかもって、終に鷲羽観光ホテルに到着する。
瀬戸内海国立公園随一の景勝地鷲羽山から 望む塩飽諸島、瀬戸大橋は絶景
である。早速、露天風呂に入り瀬戸内海に沈む夕日を見ながら旅の疲れを癒す。
夜の宴会では美味しい料理に舌つつみを鳴らしながら、話の花が満開に咲いて
いる。
二次会のカラオケでは、余り上手くない歌にもかかわらずダンスは軽快である。
後姿や動きはエネルギッシュで現役高校生!、でも顔は既に“後期高齢者”で
ある。思う存分に発散して疲れを感じたところで、今度は三次会に突入!・・・
何時終わったのか?
翌日は好天に恵まれ瀬戸大橋周辺を快適なクルージングで大満足!・・寿命も
10年延伸。秋の日差しを一杯受けて浮かぶ凧船、蒼い海原に描かれた観光船
のローカスは芸術だ!好印象を脳裏に納めながら、帰路には倉敷に立ち寄り
皆が思い思いに散策をした。
結構人が多いのに街並は静かで感性が溢れていて心地良い刺激を感じる不思
議な処だ。気楽で充分堪能した素敵な旅に帰りの車中では、彼方此方で深い鼾
をかいていた。
自分の寝言で目を覚ましたところで、楽しかった旅の終着を迎える。
高校第11回卒業生・学年同窓会の開催
平成19年8月10日、橿原神宮崇敬会館『養正殿』にて48年振りに集まり旧交を温めました。
参加者は69名で、お互いにネームプレートで確認し合って高校時代の話で賑わいました。
中にはその当時の“片思い”を告白した人もいて、溜飲下がって晴々とした表情でした。
盛り上がって今後は2年サイクルで継続開催すことになりました。
また、責任感の強い代表世話人の中迫 諭さんは、当日入院先から抜出しての出席でした。
最後に合唱した校歌は実に感慨深いものがありました。
次回はどんな方々と、お会いできるのかとても楽しみです。
関東地区同窓会開催
平成18年9月9日九段会館にて関東地区の同窓会が開催されました。
本部からも8名の参加があり、総勢約40名の賑やかな集いになりました。
中村支部長の御挨拶、戌亥会長の祝辞と近況報告でセレモニーも円滑に進み、
高貫正子先輩のご子息で軍事評論家&作家の高貫布士氏の特別講演を聞きました。
その後、森パスト会長の発声で、一同が乾杯をして一段と和やかな懇親会になりました。
学生時代に返り、昔話に花を咲かせながら思い出深い秋の一日になりました。
第26回卒同窓会開催
平成18年8月20日第26回(昭和49年)卒業の3年5、6、7組の女性限定同窓会を橿原観光ホテル
(誰かは橿原ロイヤルで受付しそうだったとか…)、二次会は橿原万葉ホール5Fで開催しました。
参加者は40名、一番遠くからは森口のサーちゃんが九州の果てからきてくれました。男性の方々には申しわけありませんでしたが、気の張らない、おばさんの井戸端会議ということで、女性限定でした。皆さん今年で50歳という熟女の熱気ムンムン、そしてこの女性限定の集まりに賛同いただき名前まで決まりました。『淀の会』 三年に一度は逢いましょう。その後はお泊まり会も計画するつもりです。どうぞ今回参加できなかった方々も『淀の会』の案内が届きましたらぜひ参加してくださいね。みなさんお体を大切に元気でいてくださいね。 <記> 今田千鶴(旧姓 上西)
3年5組
3年6組
3年7組
第4回卆 同窓会開催
今年の同窓会は古希の祝いも兼ね、15年11月9日信貴山「十三屋」で50名参加して開催しました。当日、参加者全員が校歌斉唱のあと、高校時代に戻り、よく食べよく飲みよく喋りよく笑いよく歌い、そして思い出話に花を咲かせ有意義な楽しい一時を送りました。最後に次回幹事を選出し、再会を約束して別れました。
2003.11.10 (記事) 吉田 稔 |
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第26回(昭和49年)卒業生「1,2組同窓会」の開催
〜 お世話になった中林校長先生をお迎えして〜
中林校長先生の定年ご退職にあたり、また目出度くご還暦をお迎えになられ、重々心よりお祝い申上げます。それに併せて去る3月9日恒例の「3年1,2組合同同窓会」を念願の母校教室で開催することが出来ました。これは偏に学校のご理解と、遠方からも多数ご出席戴いた同窓生の温かい友情があってのこと、本当に嬉しくこの上ない幸せの限りです。
あっという間に30年前にタイムスリップ……。ワイワイ、ガヤガヤと中林先生を囲み早春の一日を楽しく過ごすことができました。心から感謝の気持で一杯です。又私事ではありますが息子も中林先生の教職員生活最後の3年間を先生の元でお世話になることが出来ました。親子共々二代にわたりご指導とご厚情を戴き改めてお礼申上げます。中林先生どうか何時までもお元気で若々しく、またユーモア“たっぷり”でこれからの人生を“ゆっくり”、“ゆったり”と歩んで下さいますよう祈念しております。結びに先生と同窓生の皆様の益々のご繁栄とご多幸をお祈り申上げます。
なお、末筆になりましたが今回の開催に当たって、同窓会役員の梅本まさよ様には大変なご尽力を戴きありがとうございました。
平成15年4月3日 幹事 坂 口 史 代
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高校第4回卆同窓会を開催しました。
第2の人生に入った私達は、まだまだ活力をつけ一層楽しく充実させたいものです。
巣立って半世紀……平成14年11月10日(Sun)語らいの場を京都国際ホテルに設け、41名の参加者で少年,少女時代の懐かしい思い出や数々の苦い体験等を大いに語り合いました。
なお、当日は「二条城」見学を行いました。その後の二次会も盛りあったようです。
2003.03.19 当年幹事 |
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大淀高校 第11回卒業(昭和34年)3年2組 同窓会
それはハローワークでの出会いから始まりました。<写真―1>
平成12年7月定年で退職を余儀なくされた往年のプレイボーイ2人が偶然ハローワークで再会しました。懐かしい話しが発展し同窓会を企み何人かの同級生に連絡、たちまち7人の侍が結集、こうして卒業後40年ぶりの同窓会の準備がスタート、何回か会合を重ね途中から強力な女性陣も加わり翌平成13年1月6日吉野川越しに母校を見上げながら、料亭”千石荘”にて”還暦同窓会”と称し第1回の同窓会が開催されました。恩師弘田芳弘先生はたまたま体調を崩され御出席頂けなかったものの41年ぶりの同窓会は卒業生45人中26名が参加する盛況でした。41年ぶりの皆の顔はすぐに思い出せる顔、名札を見てやっと思い出せる顔いろいろ、でも何時の間にか卒業当時に舞戻り和気藹々、 同窓生とは何時まで経っても変わらない不思議なものを実感。例によって最後はスナックでカラオケ、昼の12時から始まった同窓会は深夜まで誰も帰らず、最後に全員が輪になって肩を組みながら”星影のワルツ”を歌い別れを惜しみつつ再会を約束して散会。第1回同窓会はこうして無事終了。幹事の皆さんご苦労様でした。そしてこの場で決まったこと。今後同窓会は2年に1回開催、1月の第3土曜日、幹事は持ち回りではなく今回の幹事(世話人数名)が永久?幹事として生存する限り担当することでした。
後光射す観音様の登場。<写真―2>
ところがこの盛上りは少しも衰えず強力女性リーダーの下、翌14年2月24日〜25日サロンカー(シャンデリアの付いたバス)をチャーターし片山津温泉に一泊2日のバス旅行開催、千葉、静岡等の在住者も合流18名が参加、ホテルのカラオケルームでは
閉店まで熱唱が途切れず。還暦を過ぎても疲れを知らない元若者達は翌日も賑やかな旅を続けバスの中でもハプニングが起きたり爆笑続きで和やかなうちに別れを惜しむ。
登山サークルも誕生。<写真―3>
この前後にも有志で大峰山系弥山、八経ケ岳(10人参加全員登頂)や大台ケ原登山、吉野山ハイキング等折を見ては体力作りにも勤んでいます。ぼつぼつリタイヤ組も増えてきておりこのサークルも増殖傾向。
そして平成15年1月18日待望の恩師弘田芳弘先生を迎えて。<写真―4>
第2回の同窓会が橿原ロイヤルホテルで開催されました。弘田先生には第1回同窓会終了後同窓会の報告を兼ねて同窓生4人が先生の自宅(奈良市)を訪問し奥様も交え昼食を共にしながら次の同窓会にはぜひ体調を整え出席される旨の力強い言葉を頂いておりましたが、それでも90歳のご高齢ゆえ直前まで元気に出席頂けるか正直心配でした。生駒市在住の同窓生が先生のお世話係りを担当、何日か前より先生は風邪気味で電話で体調等伺いながら直前まではらはらドキドキしながらも当日近鉄奈良駅まで先生を出迎え定刻前に予定通り会場の橿原ロイヤルホテルに到着。恩師と25名の同窓生は44年ぶりの感動的な賑やかな再会を果たした訳です。先生も途中近鉄特急の中でアルバムを見ながら44年ぶりの教え子の顔を一人一人イメージされていたようですが顔と名札がどれだけ一致したのか?時には握手をしながらじいっと相手の顔を見つつ遠い昔に帰って生徒の顔を思い出そうとされる場面も。そして驚いたことに先生の挨拶の中で判っ事ですが過去2年間の間に幾つもの大病を克服され半年前にも肺炎を患われましたがこれも見事に乗り越えられたとお聞きして先生の精神力の強さに一同感服。更に直前にひかれた風邪も前日病院で特効薬の注射をされて当日元気な姿で出席下さったとのこと。そして先生の日常の活動ぶり、特に趣味の絵については一水会展に入賞した80号の水彩画の写真も持参され今後の抱負も併せて披露下さり150歳か200歳?迄生きると力強く宣言されて我々もまた先生からパワーを貰って逆に元気づけられた次第です。先生はお疲れが出てもいけないので1時間程で退席され再会を約束しながら全員で玄関までお見送りをし、その後も延べ4時間に亘って宴会、カラオケと続き最後は又、全員輪になって星影のワルツを歌いながら再会を約束し別れを惜しみつつ閉会となりました。ひらかれた3年2組…。今回より大淀高校同窓会役員の同級生吉野正史君が厳しい関門を突破され目出度く当3年2組への編入が認められ総勢46名(今回出席26名物故者2名)となりました。次は天国での再会…。特に第1回目の発起人集会に結集してくれた7人の侍の1人で片山津温泉のバスツアーにも参加してくれた上田利昭君が平成14年5月30日逝去されたのは誠に残念でした。先に亡くなられた宮本哲男君と共に謹んでお二人のご冥福をお祈り致します。
2003.02.08 向 本 一 彦
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