無 心 が 生 み 出 す 剣 の 闘 士

第11回卆業の剣の達人松尾剛男さんは、現在地元「大阪狭山市立南中学」の選択授業で、毎週1回“楽しい剣道”を教えておられます。
『剣道は礼に始まり、礼に終わる』と言われますが、剣道を通じて健全で礼儀正しい子供達を育んで行きたい願ってご担当されています。
でも、これはなかなか“至難の技”で苦労の様ですが信念を貫いて頑張っておられます。また、これを恵まれた機会と発想転換し、今では週4日のハードな練習で両腕が上がらない程“剣道三昧”に浸っておられます。

こんな努力の甲斐があって今年8月博多で開催された剣道七段昇段審査には合格率6%の
厳しい難関を突破されました
。また10月には徳島での全国健康福祉大会(ねんりんピック)に大阪府代表選手として出場され大活躍されることでしょう。
松尾さんは『継続は力なり』を自分自身で実証し、その成果に感激を味わっておられます。彼は中学時代から剣道を志し、高校時代は環境がなくて一旦離れましたが、大学に行って再び剣を握りました。無段からのスタートでしたが卆業時には既に四段を取得、大阪学生剣道大会では個人戦で準優勝をし、当時は無名の選手が一躍脚光を浴びました。これが今でも最も記憶に残っている試合だそうです。試合では常に一戦一戦を“命懸け”で挑み、「技は捨て身から生れる」と自分の道を確立して五段までは順調に取得して来られました。しかし、六段目前になって椎間板ヘルニアを患い、以降約20年程剣道を離れていました。47歳になって期するところがあり再開をされ、54歳で六段合格、今回の七段も6回目の挑戦で遂に達成されました。その時はただひたすら「振り帰れば良い経験になる」と初心に返り練習に打ち込まれて来られたようです。
〜 落ちたら基本に戻る。無心で向き合うことは剣道だけでなく人間の基本でもある。〜
現代に至るまで剣道に打ち込み、これからも剣道を通して社会に貢献できるよう、日々“無心の心境”で努力して行きたいと言う姿勢には感動しました。
最後に「健康なお陰で毎日お酒が美味しいという“おまけ”もあります」と笑った目尻が下がっていたのがとても印象的でした。
                               2003.09.30取材 吉野
                           
【松尾剛男さんの主な略歴】
S.38年 大阪経済大学卆、南海電気鉄道に入社
H.12年 関係会社数社の重役歴任後、大阪タクシー協会副会長就任
     全国乗用自動車連合会監事就任
H.14年 南海電気鉄道理事定年
現 在  南海電気鉄道剣道部監督、狭山剣心会師範

新刊著書の紹介

この度、母校の第11代校長で我が国の生物生態研究における権威者であられます御勢久右衛門先生(理学博士)が新刊書を編著されました。
       
『大和吉野川の自然学』トンボ出版(B5版208頁)

この書物は大台ケ原を源流とする吉野川・紀ノ川生態系の半世紀にわたる記録を纏めたもので,自然環境、水質、植物相、底生動物、魚類相の変遷,それに流域の民俗などについても記述され興味深い内容になっています。御勢先生は1965年から8年間にわり、日本の代表河川に指定された吉野川で実施したIBP-PF(国際生物学事業計画)の流水生物群集の生物生産力の研究は国際的にも高く評価され、特記すべき多くの研究業績を残されました。その後、マレーシア,インドネシア,タイ,中国,台湾等主に東南アジアを中心に生物生態の調査・研究に大きな成果をあげておられます。
また、これまでにも『河川の生態学』/築地書館、『和州吉野郡群山記』/東海大学出版会等約20冊の研究書、50余の市町村史に生物関係記事を掲載、論文集に至っては既に第14巻を発巻しておられることは衆知のとおりです。
これらの書物は数々の大学で教科書としても多く採用されており、また,長年にわたる広範囲な探検や踏査で培われた行動力や豊富な経験は、素晴らしい登山家でもあり、民俗学者でもあると思えました。近年では生物生態を経済学的視点から捉えられ、その理論も確立されておられます。
先生は今年“喜寿”を迎えられ、益々お元気な様子で嬉しいかぎりです。熊野古道が世界文化遺産に指定されるまでに、『和州吉野郡群山記』を是非ご一読下さることをお奨めします。そして指定された暁には先生とご一緒に在校生も交えて縦走できればと願う次第です。

2003.02.19 吉野正史(高校11回卆)
日 本 拳 法 部 O B / O G 会 〜先輩、後輩が一緒になって爽やかな汗を流しています!〜

奈良県立大淀高等学校・同窓会の皆様お元気でご活躍のことと思います。私達は、大淀高校「日本拳法部」出身のOB/OGで平成5年1月『濫觴会』と称して日本拳法の道場を発足しています。
現在会員数は約200名で橿原市,高取町の公共施設で稽古を続けています。 主な活動目標は次の通りです。

・. 会員相互の親睦
・. 現役部員への支援、指導
・. 全日本大会および社会人選手権への参加
・. 日本拳法の一般普及および底辺拡大

これまで数々の全国レベルの大会で優秀な成績を残すことが出来ました。また平成12年8月には創立10周年記念式典開催と記念誌発行を致しました。なお運営組織は以下のよになっています。

会  長 中西 毅(高44回)  師  範 香美秀一(旧職員)
副 会長 井上 隆(高46回)  顧  問 嶋田和広(現教員)
副 会長 今西和広(高47回)  監  督 森口 保(高41回)
事務局長 原田利果(高44回)  コ ーチ 橋岡典昭(高45回)


心身の健康増進を図るためには最適の生涯スポーツと思います。機会があれば是非一度お越し下さい。
……“見学大歓迎”詳しいお問合せ先は右の通りです。
電話0744-52-3689(香美宅)


画  廊 “ 桜 ケ 丘 ”

画廊“桜ヶ丘”の支配人に杉本省三さんをお迎えしました。彼は第11回卆(昭和34年)で、学生時代から絵に愛と親しみを持ち続けている素敵な紳士です。…愛称『chappyおじさん!』絵画に関することは何でもお気軽にご相談下さい。

なお連絡先は次の通りです。
E-mail:chappy@topaz.ocn.ne.jp Telephone:0747-52-3894

当画廊への出展もよろしくお願い致します。

弘田先生 卆壽記念「第2回 洋画作品展」 ”

今年卆壽を迎えられた弘田芳弘先生が2003年10月22日〜10月26日までの5日間、奈良市内の『ギャラリー まつもと』で個展を開かれました。先生の「一水会」,「研水会」入選作をはじめ約30点の素晴らしい作品が展示されました。その個々の絵には先生の優しい人柄や幅広い感性が充分伝わって来て今回も大好評でした。活動範囲も日本各地におよびその行動力にも感心させらしました。これからもご健康で引続き大作を描き続けられるよう祈念いたします。                        2003.10.27 上野芳子
     

画  廊 “ 桜 ケ 丘 ”

皆様の作品を出展して下さい。<氏名、卆年、題名、制作年月日、コメント記入>

連絡先:〒634-0051橿原市白橿町1-17-32 吉野正史(電話:0744-26-6056)

出展者・弘田芳弘先生の作品(昭和33年〜36年まで在籍)

「酒蔵」 「墨店」



出展者・坂本基義(高校第4回卆) 懐かしい新校舎 〜 奇跡的な作品との再会 〜

母校の高等学校は小高い丘の上にある。眼下に吉野川が流れている。前身は高等女学校で私は新制高校の発足と共に学区制でこの学校に入った。その時から男女共学になったわけだが、女学校の更に前進は農林学校であったので広い
演習林があったりしてなかなか環境が良かった。
先年母校を訪れたら、この演習林はどんな経過を辿ったのか跡形もなくなり、びっしり住宅が建ち並んでいてがっかりした。電車の駅から2〜3分といえば如何に田舎とはいえ一等地…、止む得ぬことかも知れないが惜しいことをしたものだ。
私が油絵を描き始めたのは高校生の頃で、毎日毎日せっせと放課後制作に励んでいた。あまり毎日毎日絵を描いているので、ここを通って帰宅する小学生のなかには不思議に思った子がいたのか、私がその後美大を卒業し母校の美術教師になって数年経ったころ見知らぬ若い人から声をかけられた。その人は京都芸大を出てその年から我々美術教師の仲間に加わったのだが私を知っているという。その人は先に述べた小学生だったのだ。何だか自分の知らないことでも人はよく見ているんだなぁと、…・ちょっと驚いた。2年前ふとしたことで私の高校時代の作品を大事にしているという方がいるという。私は気になったのでどんな絵か写真で送って貰えないかと手紙を出したら、原作をそのまま送ってきて下さった。ベニア板の切れ端にかかれた小さな絵だったのである。作品を見て思い出したが、これは当時の中庭と新校舎を描いたものだった。
私たちが新校舎と呼んでいたのは窓枠に白いペンキが塗られ壁はエンジ色で終戦直後に出来たものらしく古めかしい明治調で、他の校舎に比べるとちょっとモダンで誰もがその教室が自分達のクラスになることを願っていた。その洒落た雰囲気にひかれて、私は何度かここにイーゼルを立てた。もと農林学校で女学校とあったからこの中庭にはモネを思わせるような睡蓮の池があり、種々の樹が植えられていた。
まだ未熟な絵だが真ん中に大きく枝を広げて立っているのは楠で、その左に電柱のように突っ立ているのは青桐、その下に小さく見えるのは確かグミの木と記憶が甦る。所々開け放された窓からは誰もいない放課後の室内がみえる静かな一時であった。
この絵を描いたのは何時だったかはっきり覚えていないが、おそらく夏休みが終わってまだ半日授業だった頃ではないかと思う。スケッチをしていて何気なく足元を見ると一匹の大きな青大将が悠々と近づいて来た。睡蓮の池には蛙などもいたからそれを狙って来たのだろう。私は一瞬ギクッとしたが青大将は居ずくこともなく立ち去った。母校はその後幾度となく改築の手が加えられ、この新校舎も睡蓮も今はない…。この絵は美術部の先輩の方が今までずっと机の上に立て飾っていて下さったという。
送られて来た現物はベニア板一枚のまま、戦後のことで絵の具の質も悪くやや黒ずんでいるがとても懐かしかった。先輩は今、埼玉県に住んでおられる…。私は額縁も何も無いままでは可哀想と思いありあわせの簡単な額を付けてお返した。

    当時の新校舎

画廊店主より一言
坂本さんは元母校の恩師でもあり、現在は洋画家として創作活動を続けておられ、個展も2〜3年に1回程度開いておられます。

出展者・杉本省三氏(高校第11回卆)

(左上)二月堂
(右上)赤膚焼
(左 )当麻寺

出展者・吉野浪子さん(高女1回卆)


(左上)鞠と女(右上)松園(左下)桔梗(右下)秋海棠
大淀高校同窓会に関するお問い合わせ先:fwkt4565@mb.infoweb.ne.jp

2003 Oyodo Hight School Nara Alumni Association. All Rights Reserved. http://www.oyodo-h.ed.jp/~alumni

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